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海外作品を手にとって読む基準はいくつかあるが、その一つに「この翻訳家が手掛けているから」というのがある。以前であれば翻訳家とは、外国語で書かれた詩や小説を、私たちも楽しむことができる日本語へと変換してくれるありがたい存在ではあっても、表舞台にはそれ程登場しない、あくまで裏方と見なされてきた。ところがいまや翻訳家とは、新しい作品や作家を紹介し、新訳によって作品の新たの一面をみせてくれる、読者にとっての作品ガイドの役割も担っている。実際に厚い信頼を寄せられている人気翻訳家たちも多い。9月には、『翻訳文学ブックカフェ』(本の雑誌社・2100円)が発刊された。これはジュンク堂池袋本店において催されている、新元良一氏と翻訳家たちとのトークセッションをまとめたものである。翻訳家としてのあり方、訳す動機も人それぞれであり、個性的であったり職人気質であったりと、この本によって翻訳家たちの素顔を知ることができる。トークセッション「翻訳文学ブックカフェ」は引き続き行われており、今後も楽しみな催しだ。今号ではそんないまをときめく人気翻訳家の書籍を取り上げたい。
いま最も注目されている翻訳家と言えば、柴田元幸だろう。ポール・オースターの小説やエドワード・ゴーリーの絵本の翻訳で有名だ。次々と新しい作家を見出し、作品の翻訳を手がけて、それが「柴田元幸が訳した」ということで話題になる。英米の新人作家が日本でファンを獲得したいなら、この翻訳家に売り込めば間違いないとまで言われる。
スティーブン・ミルハウザーもアメリカでそれほど知られていなかった頃から、日本では柴田元幸の翻訳によって紹介が進んだ作家だ。緻密な描写と閉鎖的な世界を描く作品で、もともと多くの読者に喜ばれるタイプではなく、一部に熱狂的な愛読者を持つ作家だけに、多くの作品が翻訳されているのも訳者に恵まれたからと言えるだろう。例えば『三つの小さな王国』(白水社・1029円)は、エドマンド・ムーラッシュという架空の画家の手になる26枚の絵画によって、物語が展開していく「展覧会のカタログ」などをおさめた作品集。その他、柴田元幸の訳したミルハウザー作品には『イン・ザ・ペニー・アーケード』(白水社・998円)『バーナム博物館』(白水社・1155円)『マーティン・ドレスラーの夢』(白水社・2100円)がある。
柴田元幸は最近、小説だけでなくコミックの翻訳も出している。例えばベン・カッチャーの『ジュリアス・クニップル、街を行く』(新書館・2520円)。

ニューヨークがモデルかと思われる町を舞台に、ありそうでなさそうな、いや、なさそうでありそうな、といった感じの奇妙な職業の人々の日常を描いた新聞漫画のシリーズである。主人公の職業は「不動産撮影士」。その他登場するのは「映画館のロビー(ポップコーンとエアコンの利いたカーペット)」といった香水を作る「日常性香水社」の社長や、人工泥を本物として売っている「高級泥商人」など。彼らが都市の片隅で、残業したり愚痴をこぼしたり時には事業に失敗したりと、律儀に毎日をこなす姿に勇気づけられる読者も多いことだろう。
英国コミックの『バクスターの必殺横目づかい』『バクスター危機いっぱつ』(新書館・各1575円)は、ほのぼのした暖かい色使いの絵にはまる、見事にシュールな一言がついた一コマ漫画。ページをパッとめくった瞬間で笑えるかどうかが決まるので、柴田元幸のすっきりした翻訳が魅力の一つとなっている。
翻訳作品だけではなく、エッセイや作品紹介の本もある。『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(アルク・2625円)はリチャード・パワーズやレベッカ・ブラウンなど、柴田自身が翻訳を手掛けた作家たちとの対談集。もともと英語学習者向けの雑誌『English Journal』に連載されていたインタビュー記事をまとめたもので、村上春樹との対談以外は全て英和対訳になっている。肉声をそのまま収録したCD付きなので、現在活躍している作家の声でヒアリングの勉強もできてしまう優れものだ。
『死んでいるかしら』『猿を探しに』(新書館・各1680円)といったエッセイでは、学生たちに慕われる東大教師としての顔も知ることができる。
周知のとおり、作家村上春樹が『熊を放つ上・下』(ジョン・アーヴィング著・中公文庫・上巻840円・下巻800円)の翻訳を始めるとき、その翻訳チェックをした一人が柴田元幸で、これが柴田が活躍するきっかけとなった。翻訳家という存在が注目されるようになったのも、人気作家村上春樹が翻訳でも手腕を発揮したことが大きく影響したといえるだろう。例えば、これまで野崎孝の訳しかなかったサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(白水社・861円)を、昨年、村上春樹が新たに訳して話題となった。原書のタイトルそのままの村上訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社・1680円)と、半世紀近く親しまれてきた野崎訳が店頭で二つ並ぶことになり、一つの作品を違う翻訳で読み比べるという楽しみを読者に提供した。同じ作品でも読み比べてみれば、訳によってこんなにも雰囲気が違うのかと驚かされる。村上訳のホールデンのほうが、より今時の若者という印象を与えるのではないだろうか。外国語の作品を日本語に変換するという作業が、いかに創造的な作業であるかが分かる良い例だろう。翻訳家村上春樹による、全8巻の『レイモンド・カーヴァー全作品』も、今夏ついに完成した。村上春樹/柴田元幸の名コンビが翻訳について語った『サリンジャー戦記』『翻訳夜話』(文春新書・各777円)もあわせて読めばさらに楽しめる。
個性的な翻訳家として注目したいのが岸本佐知子だ。手掛けた作品は一癖二癖あるものばかり。こんな作品を訳したのは一体どんな人なのかと思った読者も多いだろう。
ニコルソン・ベイカーの『中二階』(白水社・998円)はエスカレーターに乗ってから降りる、その僅かな時間に主人公の頭の中を駆け巡るあれこれが描かれた、ユニークな小説。靴紐が切れる理由、会社の便座の形、幼い頃の父との会話など、彼の考えることは日常の些事ばかりだが、思考の流れは四方に枝分かれし、それぞれが注釈となって同時進行する。他にも、赤ん坊にミルクをやる20分間を描いた『室温』(白水社・1680円)やテレフォン・セックスを題材にした『もしもし』(白水社・914円)、時間をとめて女性の服を脱がすのを特技とする男の『フェルマータ』(白水社・1155円)など、いずれもベイカー作品は岸本佐知子が翻訳している。
最新作は『ノリーのおわらない物語』(白水社・2100円)。文体が九歳の女の子の独白形式で、言い間違いがたくさん出てくる。例えば「のめりこむ」ことを「めりこむ」と繰り返すのだが、ずっと読んでいるとノリー語に慣れて、なんとなく正しいような気分になってくるから不思議だ。
『オレンジだけが果物じゃない』(国書刊行会・2520円)も、個性的なイギリスの女性作家ジャネット・ウィンターソンの自伝的作品。カルトなキリスト教原理主義を熱心に信仰する両親を持ち、聖書で歴史を学び、幼くして自ら説教壇に立つまでになった主人公が、同性を愛したことで教団を出る決意をする。「創世記」から始まる章立てや、登場人物の名前など、全体に聖書のモチーフが色濃く反映され、壮絶な人生がアイロニカルな文章で語られる。
その他、マイク・フェイダーの『ニューヨーク・バナナ』(白水社・1890円)は母から受け継いだあらゆる神経症とアレルギーを抱え、苦痛に満ちた日常を送る「 僕」の自虐的短編集。また、ブロードウェイで反響を呼んだ同名の一人芝居を元にしたイヴ・エンスラーの『ヴァギナ・モノローグ』(白水社・1575円)は、タイトルそのものは強烈だが、実は感動的でもあるインタビュー小説だ。先にあげた作家ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』(白水社・2310円)は、「あるアメリカ作家の生と死(1943―1954)ジェフリー・カートライト著」という長い副題がついた伝記小説のパロディ。とにかく岸本の翻訳には一風変わった作品が多い。
変わりもの作品の翻訳を得意とする岸本佐知子自身も、やはり変わった人なのだと確認できるのが、エッセイ『気になる部分』(白水社・1575円)だ。翻訳家だから翻訳についてのエッセイだと期待してはいけない。食べ物を口に含んでスキップすると美味しくなるスキップ法、なぜシュワルツェネッガーをシュワルツネッガーと発音してしまうのかなどなど、電車の中で読むと吹き出してしまって、彼女の言う「キテレツさん」の仲間入りをしてしまいそうなエピソードがいっぱいだ。
メジャー作品には威圧感を感じ、自らを「マイナー者」と呼ぶ彼女は翻訳家としてだけでなく、今後はエッセイストとしても期待したい。
翻訳家柳瀬尚紀の特徴は、原文からそのまま移したような言葉遊びの妙だろう。原語では韻を踏んでいても、日本語に訳す際には往々にして意味か音のどちらかが犠牲になるものだが、柳瀬尚紀はどちらも活かすという離れ業をやってのける。エドワード・リアの『ナンセンスの絵本』(岩波文庫・588円)は、そんな柳瀬訳を存分に楽しめる一冊だ。リメリックという形式の詩である原文に合わせて、翻訳もすべて1・2・5行目と3・4行目が韻に踏んでいる。またナンセンスな言葉遊びなので、いくつかの単語を混ぜ合わせた造語も多いのだが、それには柳瀬流の造語で対抗している。例えば、「ねじ」と「怪しげな」という語の合成語には、「胡散ねじげ」という造語をあて、文脈と綴りから「怒りっぽい」という意味と「イノシシ」の音を持つ単語は「猪呵る(いかる)」と訳す。言葉遊びの一つ一つを丹念に日本語で再現しつつ、しかも全体がきちんと韻を踏んでいるのだから驚きだ。本書は原文も一緒に収録された対訳であり、さらに画家であったリアの愉快な挿絵も楽しめる。
そしてジェイムス・ジョイスの翻訳に触れないわけにはいかない。こちらでは言葉遊びはもとより、膨大かつ多岐にわたる引用が重要な要素となっており、なにより大長編だ。柳瀬訳の『フィネガンズ・ウェイク1〜4』(河出文庫・1260〜1365円)を開いた途端、見たこともない日本語の迫力に圧倒されるだろう。それも全編を通して使われているのが、文字と意味と音を分解し、もう一度組み立て直した特殊な日本語だからなおさらなのだ。
この翻訳については重大な論争があった。ジョイス作品のような難解な小説は、結局そのままを翻訳することはできないから、注や解説で作品の面白さや仕掛けを分かりやすく説明することこそが翻訳だという意見がある一方、柳瀬尚紀は「翻訳に不可能はない」との立場から、あくまで作品をそのまま日本語にすることに拘った。よって柳瀬訳に注釈は一切ない。ジョイスが日本語でこの作品を書いたらきっとこんなふうだったはずだという、難解さそのままの『フィネガンズ・ウェイク』となっている。先の意見に真っ向から反対し、翻訳について熱く語る『翻訳はいかにすべきか』(岩波新書・693円)と一緒に読むと、気の遠くなるような翻訳作業の一端が見えてさらに感動を呼ぶはずだ。他にもジョイス作品では、ある章の語り手を「犬」と訳して話題となった『ユリシーズ』(河出書房新社・1427円〜)もある。
縦横無尽に言葉を操る人であるため、エッセイ集『猫舌三昧』(朝日新聞社・1260円)では、俳句や漢文から、ニュースの言葉や女子高生の会話まで、さまざまな「言葉」をテーマにしているが、彼が愛猫家、美食家としての一面があることも知ることができる。「猫をかぶる」等、猫を差別する語は使わない宣言など、びっくりするエピソードも多い。同じく言葉にまつわるエッセイ『言の葉三昧』(朝日新聞社出版局・1470円)や、日本語学者山田俊雄との対談集『ことば談義ねてもさめても』(岩波書店・2310円)などもある。
エッセイストとしても人気のある青山南は、とにかく幅広い作品を手掛ける翻訳家だ。T・コラゲッサン・ボイルの『血の雨』(東京創元社・1995円)は、文字通り血の雨が降り続き、家の中に閉じ込められるタイトル作品など、怖いけれどスピード感のある作品を集めた短編集。一方で、スコット・フィッツジェラルドの妻で晩年は狂気に陥り死んだ作家ゼルダの、『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』(新潮社・8190円)も翻訳している。
また絵本で楽しいのが、ジョン・バーニンガムの『アボカド・ベイビー』(ほるぷ出版・1470円)。体の弱かった赤ん坊にアボカドを食べさせたところ、ぐんぐん丈夫になって、ピアノや車を持ち上げるほど力持ちになっちゃった、というお話。ダン・ヤッカリーノの『ハロー!オズワルド』(小峰書店・924円)も明るい色彩で目を引く絵本だ。新しい街に引っ越してきたタコのオズワルドが、新しい仲間たちと出会う物語。いずれの絵本も全部ひらがなで訳されており、わかりやすく丁寧な言葉づかいが印象的だ。
『翻訳文学ブックカフェ』のインタビューによれば、青山南が作品を選ぶ基準は、著者の写真だという。翻訳を始めると、その作家や作品の周辺に興味がわいて、訳す作業よりも夢中になってしまう。その一端が垣間見えるのが、『この話、したっけ?』(研究社・1575円)。新聞雑誌、さらにインターネット等で集めた、アメリカ文学に関する様々な情報をまとめたものだ。文芸雑誌の話題や小説の映画化、作家についての噂など盛りだくさんの内容になっている。90年代に集めたネタを右ページに縦書きで、2000年になってからの追跡取材を左ページに横書きでという構成スタイルも面白い。
『英語になったニッポン小説』(集英社・1835円)は日本の作品がどのように英訳されているか比較検討する、非常に興味深い一冊。吉本ばななの「キッチン」や村上龍の「69」などの作品を対象に、オリジナル、つまり日本語そのままと、その英訳、時には英訳の和訳まで並べて順に検証していく。すると英訳した際の解釈の違いや、訳しきれない微妙なニュアンスなどが浮き上ってくる。椎名誠の文章が、英訳では並べ替えられ整理されてしまうなど、日本人にとっては歯痒くなるケースも挙げられている。
ドイツ文学の翻訳家として人気なのが、池内紀だ。『カフカ小説全集全六巻』(白水社・各2940円〜4515円)は、カフカ以外の人間の手になる部分を一切排して、カフカの手稿そのものをテキストとした全集である。カフカの作品は編集者マックス・ブロートによるテキストの入れ替えやタイトルの変更などが多かったため、オリジナルの姿を見たかった読者にとっては、待望の全集だろう。全編池内紀の個人訳であるのも画期的だ。
また池内は作品の翻訳だけでなく、カフカ研究書も数多く執筆している。例えば若林恵と共著の『カフカ事典』(三省堂・2310円)。作家の生涯から個々の作品について、読解のキーワードや歴代研究者による解釈など、一冊でカフカの周辺のあらゆる事項を調べることができる。全集翻訳という作業の中で見えてきた、カフカの執筆方法についてまとめたのが『カフカの書き方』(新潮社・1680円)である。手稿や草稿だけでなく、さらに日記から分かる毎日のスケジュール 、愛用のノート、ペンのインクのことにまで話は及び、等身大のカフカが伝わってくる。さらに『となりのカフカ』(光文社新書・735円)では、療養生活の多かったカフカが、その度に保養所のパンフレットを入念にチェックしたことや、毎日ラブレターを書く「手紙ストーカー」であったことなど、これまでの作家像と違うカフカを知ることができる。最近出版されたものでは『カフカの生涯』(新書館・2730円)がある。池内が発見した新しいカフカ像をまとめた評伝だ。
難しい印象のあるゲーテの『ファウスト第一部・第二部』(集英社文庫・順に720円・980円)も、池内紀訳なら散文体で楽しめる。
オリジナルは詩形の戯曲だが、散文になるとこんなにも分かりやすくなるのかと驚かされる。山本容子の挿絵が収録されているのも嬉しい。古典がさらに身近になる一冊だ。さらに『ゲーテさんこんばんは』(集英社・1995円)を読めば、これまでのゲーテ像は覆されるに違いない。文豪ゲーテは恋に落ちやすく、結婚話が出るとすぐさま逃げるような、どれほど軽はずみで陽気な人であったかが分かる。
その他の翻訳作品として紹介したいのはパトリック・ジュースキント著『香水』(文春文庫・770円)だ。生まれた時から全く匂いのしない男が、天性の嗅覚を活かして香水職人となり、あらゆる人を惑わすことのできる香りを作るという奇想天外な物語。
池内紀にはエッセイも多い。大人の一人旅を楽しむためのコツをまとめた『ひとり旅は楽し』(中公新書・756円)や、ヨーロッパの魅力的な町を歩く『町角ものがたり』(白水社・1890円)。日本の川と、その川と共に生きる人々の姿を捉えた『川の旅』(青土社・1890円)など旅のエッセイがある。変わったところでは、人々の注目を浴びる華やかな「一番」の人生ではなく、その陰で自分らしく生きた人びとを取材した『二列目の人生 隠れた異才たち』(晶文社・2310円)もある。様々な方向へと拡がる池内紀の仕事をまとめたシリーズ『池内紀の仕事場』も、10月には第6巻『架空の旅行記』(みすず書房・2940円)が発行された。
現代フランス作家ジャン・フィリップ・トゥーサンを翻訳、紹介したのが野崎歓だ。会社ではきちんと仕事をし、バーに一緒に行く友人も恋人もいて、一見普通の社会生活を送りながらも、家では浴槽の中に閉じこもっている青年を描いた『浴室』(集英社文庫・420円)。ある日突然テレビを見ないと決心した男の身の上に起こる、一夏の出来事を描いた『テレビジョン』や、『ムッシュー』『ためらい』『カメラ』(集英社文庫・各370円〜550円)。それに日本を舞台にした最新作『愛しあう』(集英社・1470円)まで、全て野崎歓が翻訳を手掛けている。
軽快なトゥーサン作品とは対照的に、ミシェル・ウエルベックの『素粒子』(筑摩書房・2730円)は現代社会への痛烈な批判をテーマとした長編小説だ。心も体もすさんだ国語教師の兄と、孤独で天才的な分子生物学者の弟という、二人の異父兄弟の人生をたどる中で、快楽を追求する消費文化と、生命誕生までもコントロールしようする科学進歩の限界が描かれる。本国フランスでは裁判にまで発展した、ずしりと重い問題作だ。
「パルムの僧院」といった名作から、上述の「素粒子」といった最近の作品まで、野崎歓が多様なフランス小説の楽しみ方を紹介しているのが『フランス小説の扉』(白水社・2310円)。フランスにおけるフォークナーの影響など意外な話題も大変興味深い。
『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』(東京大学出版・1995円)は、同年代で、ともに東大で教鞭を執る斎藤兆史との対談集。斎藤はV・S・ナイポール『イスラム再訪上・下』(岩波書店・上巻3465円・下巻3045円)などを訳した英文学の翻訳家で、2人は音楽の趣味も同じ。しかし外国語の学び方、翻訳のあり方、さらに文学の意義など、二人の対話によって明らかになる違いは、そのまま異文化交流として読める。
数少ないロシア・東欧文学の紹介者として注目したいのが、沼野充義である。
ロシア語だけでなく、東欧諸国語も操るマルチリンガルだ。9月にはこの翻訳家によってスタニスワフ・レムの『ソラリス』(国書刊行会・2520円)が新たに刊行された。かつてタルコフスキーが映画化し、最近ではソダーバーグによってリメイクされた映画「惑星ソラリス」の原作だが、これまであった『ソラリスの陽のもとに』(ハヤカワ文庫・672円)は実はロシア語版からの翻訳であった。そのため原語との微妙なずれが生じていたのだ。さらに残念なことに、ロシア語版が作られた際に行われたテキストの削除などが、日本語版でもそのままだったことがある。今回の沼野訳はポーランド語のオリジナル決定版によっていて、ようやく作品本来の姿を日本語で楽しむことができる。またこの本は全6巻で完成予定のスタニスワフ・レムコレクションの第1巻であり、今後の続刊が楽しみなシリーズだ。その他レム作品ではこれまで出ていた『完全な真空』『虚数』(国書刊行会・順に2100円、2520円)も沼野が共訳している。
表紙の肖像写真も強烈なエドワード・ラジンスキーの『真説ラスプーチン上・下』(日本放送出版・各2520円)は、ロシア最後の皇帝ニコライ2世の一家に寵愛された怪僧ラスプーチンの評伝。毒を盛られても撃たれてもなお死ななかった、と噂されるラスプーチン。不思議な力で皇帝一家を支配し、その治世に多大な影響を与えた怪人物である。謎に包まれていた暗殺事件の真相などが衝撃的に描かれ、歴史としてではなく、小説として読んでも引き込まれる。
飄々としたユーモアが魅力のセルゲイ・ドヴラートフ『わが家の人びと』(成文社・2310円)やタチヤーナ・トルスタヤの『金色の玄関に』(白水社・2447円)、アレクサンドル・グリーンの『消えた太陽』(国書刊行会・2520円)など、沼野はロシアの現代作家や詩人の作品を積極的に紹介、翻訳している。二人組で活躍した文芸評論家ピョートル・ワイリ、アレクサンドル・ゲニスの『亡命ロシア料理』(未知谷・2100円)は、ロシア料理のレシピと文明批評をあわせたユニークかつ愉快なエッセイ。アメリカのジャンクフードに対して悪態をつきながら、「ボルシチ5人前(50皿分)」を作る様子は、読んでいるだけで満腹になってしまう。古典とされるような作品の研究ばかりで、なかなか紹介されてこなかった現代ロシア・東欧の文学だが、こうした新しい作品の翻訳を今後も期待したい。
『徹夜の塊 亡命文学論』(作品社・3570円)は「亡命」をテーマとして、各国の作品を考察した評論集。海外文学が多くの場合国ごとに括られてきたため、複数の国を跨ぐ亡命文学は、どこかの範疇に押し込められるか、外れもののように扱われてきた。しかし視点を変えることで、これまで見落とされてきた一面が浮かび上がってくる。姉妹編として『徹夜の塊 ユートピア文学論』(作品社・3990円)もある。
露・仏・英語を自在に操った代表的な多言語作家、ウラジーミル・ナボコフの『ナボコフ短篇全集T・U』(作品社・各3990円)は、ロシア文学者と英米文学者の共同翻訳による画期的な新訳全集。露文代表の沼野と共にこの翻訳を提案したのが、英米文学者の若島正だ。ナボコフの『ディフェンス』(河出書房新社・2310円)やリチャード・パワーズの『ガラテイア2.2』(みすず書房・3360円)などの翻訳をてがけている。若島は文学者でありながら、チェス・プロブレムの国際マイスターの称号を持つことでも有名。そのため、チェス小説とも呼ばれる『ディフェンス』の解説では、ナボコフのプロブレムは「凡庸」との厳しい指摘も。またパワーズは物理学の世界から文転して作家となった人。その点、京都大学の文学部と理学部を卒業した若島正は、まさにうってつけの翻訳家といえるだろう。どちらの例でも、作家と翻訳家が似た者どうしの組み合わせ、というのが面白い。
若島正があらゆるジャンルの小説について存分に語っているのが『乱視読者の帰還』(みすず書房・3360円)。とにかくたくさんの作品が紹介されているので、読んでみたいと思うものがきっと見つかるはず。また短編をテーマにした『乱視読者の英米短篇講義』(研究社・1995円)もある。さらに11月には『乱視読者の新冒険』(研究社・2520円)が刊行予定で、こちらも楽しみだ。
お気に入りの作家の胸躍る新作も嬉しいものだが、贔屓の翻訳家に導かれて新しい作家・作品に出会うのも、読書の秋を豊かにしてくれること請け合いなのだ。
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