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著書を語る―420
「肉の来し方を見て」 内澤 旬子
はじめは羊だった。モンゴルの草原で、羊の生の内臓をちゃぶちゃぷ洗っているところに遭遇して、これまで肉がどのように作られているのか、想像したこともなかったことに心底驚いた。その後世界各地の屠畜場を取材してイラストルポにすることになるなど思いもしなかった。なにより私はまだ「イラストルポライター」ではなかった。仕事をはじめたばかりのひよっこイラストレーターだった。
編集者へ営業をかけるのに、まだろくな掲載作品も揃っていなかったので、モロッコ旅行をしていたときのスケッチブックを見せていたら、ゲルという遊牧民のテントの組み立て方をイラスト図解して欲しいといわれたのだった。どう話がついたのかナゾなのだが、一人でモンゴルへ取材に行かせてもらえることになり、最終的にはイラストの他に文章まで書かせていただいた。
今思うと大層無謀な仕事だったが、これで今のイラストルポのスタイルができたようなものなのだから、編集者に感謝しなければならない。
これがきっかけで挿絵イラストと並行して、取材に出かけて描く(書く)イラストルポの仕事をいただくようになる。もともと机に長時間座っていられるタイプではないので、ほくほくと出かけていった。ところが取材先でスケッチに取り組む時間をとるのが非常に難しいことに気がついていく。
だんだんスケッチはメモ程度となり、写真をあらゆる角度から撮っておいて、机上で再構成するというやり方を多くとるようになっていった。狭いトイレの俯瞰図など、写真では決して再現できないものに挑戦する楽しみはあるけれど、現場に立ってスケッチをするあのなんともいえない忘我の感覚は味わうことは出来ない。そう、他の人はどうかわからないが、スケッチをしているときの自分の状態は、透明人間のように現場の空気に溶けているのがいいのだ。現場で働く人が、取材が入っていることすらもだんだん忘れて普段の仕事に集中していくその様子を描くのが、楽しい。しかしそんなふうに長時間の現場入りを許される仕事には、たくさん仕事をすればするほどなかなか出会えないものだということがわかってくる。
そこで話は屠畜に戻る。
『月刊部落解放』での連載が決まり、海外の屠畜現場を回ることになったのだが、ここでもほとんどは写真の記録に頼らざるを得なかった。一頭の豚や羊をじっくりゆっくり捌いていくところでは、楽しそうなんでついつい羊の頭を焙って毛を落としたり、腸詰をつくったりと、現場にダイブしてしまったし、きちんとした屠畜場では、見せてもらえる時間がとても短かかったため、これまた写真とメモをしながら質問するのが精一杯。現場で透明人間になるまでじっくり居座ることなどまず無理だったのだ。
ところが日本の屠畜場は、これまでのはげしい差別の歴史があるため、なかなか外部の人間を入れたがらないだけでなく、写真とビデオ撮影に非常にナーバスだった。いまだに近所の人だけでなく、家族に対してまで仕事内容を言えずにいる作業員もいるのだ。しかしだからこそ、中でどんな作業をしているのか、外部に知らせることで、偏見を減らすことはできるのではないか。
「ならばスケッチはいかがでしょう」
印刷機やトイレのイラストを見せながら、一生懸命芝浦屠場にお願いした。
念願かなってスケッチが許され、現場に入ってみれば、もうそこはパラダイス。現場の皆さんはとても忙しいので、立ち位置を指定するとさっさと仕事に戻ってしまう。こちらはこころゆくまで透明人間になることができた。はじめのうちは作業が早くて筆がついて行かなかったのだが、長く見て描いているうちに慣れ、それぞれのナイフ使いの違いなどもおぼろげながら見えてくる。さらにラインに載らない大きな経産豚の皮を剥く作業で足を持たせてもらったり、掃除道具のホースを使わせてもらったりするうちに、ぱっと見学しただけでは決してわからない、フルタイムで働く仕事としての屠畜作業が、だんだんとわかってくる。まさに至福。これだよこれ、あたしが一番やりたかったことは。あまりにも楽しく、半年くらいあっという間に経ってしまった。
雑誌に掲載された後で、現場の皆さんが「この背中はオレだ」などとイラストを見て喜んでくださったことを聞いて、心から安堵した。こっちは透明人間になっていたつもりでも、やっぱりじろじろ見られて、邪魔だったはずだからだ。よくも長い期間受け入れてくださったと思う。本当に感謝している。
おかげで屠畜の過程は写真を見るよりわかりやすく描けた。肉を食べる人も食べない人も、ぜひ手に取っていただきたい。

『世界屠畜紀行』解放出版社・2,310円
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