書標 2006.12月号
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格差社会

 2004年に『希望格差社会』がベストセラーとなって以来、「格差社会」に関する本の出版点数が急速に増えつつある。小泉前総理大臣・安部現総理大臣も格差社会を容認する発言を行い、また現在では年金未納者の割合が約4割に及び、さらに全国のフリーターの数は約201万人にも達するという(厚生労働省調べ)。「一億総中産階級」と言われた時代はもはや遠くに去ってしまったようである。
 今月は深刻な社会問題となりつつある、「格差社会」に関する書籍を、広範囲にわたって取り上げて行きたい。

格差社会基本書

 格差社会の調査には、社会的なデータ分析が不可欠である。所得格差の調査の際に頻繁に用いられるのは、「ローレンツ曲線」、それを元にして考案された、「ジニ係数」と呼ばれるもので、現代社会の所得不平等を計る為の指標として重要である。以下の書籍でも、多かれ少なかれ、前記に基づくデータが利用されているが、それをどのように分析しているかは、各書によってかなりの違いがあり興味深い。

 2004年出版の『希望格差社会』(山田昌弘著・筑摩書房・1995円)はこの手のテーマの嚆矢となった本である。多岐の分野にわたっての豊富なデータを分析して、現代社会の「勝ち組」と「負け組」との格差について述べている。戦後の高度成長期の時代には、入社した若者たちは、仕事に習熟し、ほとんどが企業内で昇進して高い地位につくことが出来た。しかし現在の企業では、終身雇用も保証されておらず、非正規社員の雇用が増加した結果、所得格差は増大しつつある。希望格差社会の中で、努力しても報われず理想の自分に近づく事が出来ない不満を抱えている若者たちがにいかに多く存在するか、その現実に驚かされる。

 山田昌弘の近刊『新平等社会「希望格差」を超えて』(文藝春秋・1500円)では、崩壊した現代の「中流社会」の状況を詳しく述べる。まずは格差社会の原因を3つの問いから説き起こす。収入差のため、仕事、結婚、教育においても格差が生じ、これによって、非婚化・高齢化等々の諸問題が発生し、希望を喪失していく家族が増加しているという。筆者はこの状況を危惧し、問題解決のために「生活の構造改革」と、「新平等社会」の構築を提案する。

 タイトル自体が流行語ともなった『下流社会』(三浦展著・光文社・819円)は、格差社会の総体の問題点をデータ主体で述べている。マーケティングの専門家である著者は、下流とは、向上心や意欲が相対的に低い人間のことを指すと筆者は説く。いわゆる「自分らしさ」を追いかけながらぶらぶらと生きている人間たちが、上昇意欲を放棄した、いかに曖昧な価値観に支えられた生き方をしているかを筆者は指弾する。貧困層と富裕層とを見据えた商品開発について提案するところは、マーケティング・プランナーならではの論述となっている。

 同じくベストセラーとなった『下流社会』(速水敏彦著・講談社現代新書・756円)が扱うのは、前著で三浦が扱っている『下流』に属する若者たちである。彼らは漠然と自分は未知数ながら才能があると信じ込んでいる特徴があると言い、それを速水は「仮想的有能感」という造語で解説する。

 三浦展が『下流社会』以前に女性の社会的格差を取り上げたのが、『「かまやつ女」の時代』(牧野出版・1365円)である。往年のかまやつひろしに似た古着系ファッションを着る女性達を「かまやつ女」と定義し、元東大生タレント・六條華に代表される、高学歴で向上心の高い女性達を「六條女」という造語で表現し、対照的なこの二つのタイプを、実際の女性への取材によって描き出している。女性の格差社会の現状をリポートした類書は少ないので貴重な書である。筆者の定義する「かまやつ女」たちが、自分探しの名のもとに、個性的なファッションを追求しているつもりが、かえって画一化されたファッションに流されている点を著者は危惧し、「六條女」たちに比べて向上心が見られないと述べる。

 三浦展には『下流社会』以前に『マイ・ホームレス・チャイルド 下流社会の若者たち』(文春文庫・650円)という著書がある。この本では、正規雇用の道を選ばず、個性的な生活を選択する「真性団塊ジュニア世代」の若者たちの生活の諸相を描きつつ、「新人類」世代との差異を指摘する。

 格差社会の概要を知るためには、『格差社会 何が問題なのか』(橘木俊詔著・岩波書店・735円)がある。格差社会の諸問題がコンパクトにまとめられている。

 『現在(いま)がわかる! 格差社会』(宮島理著・九天社・1260円)は、格差社会に関する45のトピックスを厳選し、わかりやすくグラフを多用して問題点について解説している入門書。正社員と非正社員の格差、男性と女性の収入の格差、教育の格差、政治家の格差に関する発言など、格差社会問題の要点を簡潔に抑えている。

 『論争格差社会』(文春新書編集部・文春新書・788円)は、近年雑誌に掲載された格差社会に関する論文・対談を12本収録している。近年の格差社会に関する論説を通覧するにはもってこいの一冊。



格差社会各論

 『格差社会――』の著者の橘木には、テーマをより深化させた専門書・『日本の貧困研究』(橘木俊詔・共著・東京大学出版会・3360円)があり、こちらでは、より精緻なデータを基にして、貧困の歴史・現状を述べ、深刻化するばかりの日本の貧困社会の打開策の提示を行っている。

 橘木を中心に4人の論者がまとめた、『封印される不平等』(橘木俊詔・斎藤貴男・苅谷剛彦・佐藤俊樹共著・東洋経済新報社・1890円)は、第一章で全員による座談会を行い、第2章以降では橘木が不平等社会の諸問題について総論を述べる。就職・就学に関する機会の不平等を是正すれば、果して社会の不平等はなくせるのかという議論が鋭い。前半の座談会での、苅谷による、アメリカの学歴中心主義社会についての指摘も興味深い。

 『日本の不平等』(大竹文雄著・日本経済新聞社・3360円)は、所得分配分析による独自のデータ分析で、所得格差に関する従来の論議に一石を投じる内容となっている。実際の格差は、アメリカほど拡大しておらず、格差の要因は、高齢化による統計上の数字の変化が一因であるという説には、データを精緻に分析した説得力がある。

 『格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢』(中野雅至著・ソフトバンククリエィティブ・798円)は、富裕層、貧困層、ともに格差社会の要因を作っていると論じることに終始している。格差社会の一要因を作ったと見られがちな小泉政権の5年間についても、冷静にその功罪を分析する。具体的な提案が多いのは、元官僚という著者の経歴のためであろうか。


教育の格差

 2000年に出版され、新たな階級社会の出現を予言したのが、『機会不平等』(斎藤貴男著・文芸春秋・670円)である。ゆとり教育はエリート選民教育であるという指摘、弱者が虐げられる会社社会、優生学的な不平等を「競争原理」と言い換える経済学者・政治家たち……。最終章で語られる、アメリカで実現しつつある優生学に基いた遺伝子操作によって生じる格差社会には寒気を覚える。

 このように下流社会に属する人間が増えている一方で、ヒルズ族に象徴されるような、富裕層が増えていることも事実である。いわゆる一般社会でいう所の「勝ち組」である。バブル期が蘇った様な豪華な生活を送っている家庭は、幼年期の根本的な教育からして異なる。いわゆる「お受験」と呼ばれる初等教育は、膨大な金額を要する点で、一部富裕層にしか実現出来ないものとなっている。

 その「お受験」と呼ばれる、幼年期からの高学歴社会に熱心になっている親たちの実態、そして現代の教育社会で増大しつつある格差については、『教育格差絶望社会』(福地誠著・洋泉社・1000円)に詳しい。一人の子供を高校から大学まで進学させるのに1000万円かかる事実、そして中学受験のための負担、公立校と私立校の差……その為に学力差が生まれ、将来勝ち組・負け組が生まれていく状況を見ると、子供たちの将来について暗澹たる気持ちになってしまう。

 子どもたちを「負け組」にさせない為の実践的なテクニックを書いた参考書が『教育格差』(和田秀樹著・PHP研究所・1260円)である。

 『学歴と格差・不平等』(吉川徹著・東京大学出版会・2730円)には、高学歴化の浸透によって引き起こされた不平等について詳細に記されている。大学に入学した時点から格差の拡大が始まる、大卒と高卒の収入格差が諸外国に比べて著しく低い――など、高学歴社会の生んだ社会の歪みの数々には驚かされる。


ホームレス
 
 格差社会の生んだ現代社会の悲惨な一面を描いているのが、『今日、ホームレスになった』(増田明利著・新風舎・1260円)である。普通のサラリーマンや、経営者だった人が、なぜ公園やガード下で寝泊りをする立場となってしまったのか。そんなホームレス13人の人生を紹介する。リストラ、高年齢による就職難、多額の借金、一家離散……。終身雇用制度が保障されなくなった現代社会では、このような悲劇が明日にでも誰の身の上にも起こり得る――という深刻な事実を教えてくれる。しかし借金で困窮しての自己破産の手続きに、最低で50万円を要するとは、著者も指摘しているがはなはだしく矛盾した話ではないか。

 下流社会層を対象にしたビジネスの代表が、消費者金融である。低所得層になればなるほど利用しがちで、そして多重債務に陥りがちになるこのマス・ビジネスの構造を暴露するのが『下流喰い』(須田慎一郎著・ちくま新書・740円)である。消費者金融の罠について詳しく述べている。


街の格差

 平成「経済格差社会」』(江上剛著・講談社・1365円)は、平成16年4月から朝日新聞に連載されているコラムをまとめた一冊。タイトルからすると格差社会の総論のように見えるが、内容は大変ユニークで、著者が実際に街角で取材した生の現場から、格差社会の影響を浮かび上がらせている。カレーライスや発泡酒など、身近な話題の数々から、経済格差がいかにわれわれの生活に影響を与えているか、という事実を皮膚感覚で理解することが出来る。

 戦後社会の発展を支える基盤となってきた終身雇用制度は、現在その形を次第に変えつつあるが、若年層の会社員は、早期退職を選択するケースが最近増加している。その原因をわかりやすく分析しているのが『若者はなぜ三年で辞めるのか?』(城繁幸著・光文社・735円)で、現在でもベストセラーとなっている。実際に、大企業・富士通を7年で退職した経験のある筆者が、早期退職する若者たちの諸相を描きつつ、日本企業の年功序列制度の弊害を鋭く突く。



新しい格差社会問題

 アメリカにも格差社会は厳然として存在する。そのアメリカの下流社会の実態を生々しく語るのが『ニッケル・アンド・ダイムド』(バーバラ・エーレンライク著・曽田和子訳・東洋経済新報社・1890円)である。労働問題の専門家である筆者は、下層社会に潜入して、ウエイトレス、掃除婦、スーパー店員など、時給六ドルの仕事を経験しながら、実態を探る。ワーキングプアと呼ばれる下級生活者たちは、どんなに働いても生活が向上することはない。特に彼らにとって負担となるのが住居費である。アメリカでは日本の公団住宅のような、低所得者のための住宅は存在しないそうだ。筆者はもともと中流階級であり、住宅取得補助金として20000ドルを受給されていたというから驚きである。

 しかし、ワーキングプアは、もはやアメリカだけの問題ではなく、各国であらたな社会問題となりつつある。イギリスのワーキングプアの実態は『不安定を生きる若者たち』(乾章夫編、アンディー・ファンローグほか著・大月書店・2100円)に詳しい。日本とイギリスの若年層の、ニート、フリーター、ワーキングプアの問題を取り上げ、日英の比較の中で、打開策を導き出していく。

 そしてワーキングプアは、格差社会問題が深刻さを増す日本でも発生しつつある。『ワーキングプア』(門倉貴史著・宝島社新書・756円)は、「4人に1人は生活保護水準で暮らしている!」という帯のコピー通りの衝撃的な内容だ。

 非正規雇用社員が増加した結果、正社員と非正社員の貧富格差は広がりつつあり、現在、中高年層には40万人ものワーキングプアが存在し、さらにその数は増加しつつあるという。実際にワーキングプアに陥っている10人へのインタビューは、いずれも深いため息が聞こえてきそうな深刻な内容ばかりである。ワーキングプアの解決には政府による根本的な打開策が必要だと筆者は力説する。



 日本の格差社会の状況はますます悪化しつつある。政府の抜本的な解決策ももちろん必要であるが、国民の一人ひとりがこの問題について目をそらさず考えていくことも必要ではないだろうか。


テヘラン

 先月、この書標でも取り上げた『テヘランでロリータを読む』(アーザル・ナフィーシー著・白水社・2310円)の評判が、じわじわと広がっている。口コミで、小さな紹介ページで、書評で、どれも大げさではないが静かに感動を伝えてくるものだ。イランのテヘラン大学で英米文学を教えていた筆者が、革命前後の教育現場の変化や、授業風景・学生の変化、自分自身の生活の変化を深刻に伝えており、これまで知られていなかったイランの女性たちの姿を、文学という枠組みから生き生きと描き出した、稀有な作品である。今月の第2特集はこの作品を中心に据え、イランを読み解く新しい視点を模索してみたい。
 内容は四章に分かれ、それぞれ有名な文学作品を挙げ、それにまつわる議論を追う形で進んでいく。革命前の大学の教室、革命後の教室、そして女性ばかり集めた秘密の読書会、それぞれの場所、参加者によって、読まれ方は全く異なる。

 例えばタイトルにも登場する『ロリータ』(ナボコフ著・新潮文庫・900円)。中年男性が少女を犯すというセンセーショナルな内容が世界を騒がせ、ロリコンという言葉の語源にもなった。だが女性は9歳で結婚できるイランで、これと同じような状況はさほど珍しくない。女性たちは自分とロリータの境遇を重ね合わせ、その奪われた人生を思う。

 他に取り上げられるのは、『グレート・ギャツビー』(スコット・フィッツジェラルド著・中央公論新社・861円)『デイジー・ミラー』(ヘンリー・ジェイムズ著・新潮文庫・340円)『高慢と偏見』(ジェイン・オースティン著・ちくま文庫・上下各998円)と、名作ばかり。取り上げる小説や作家に関する説明は省かれているため(読んでいて当然という名作ばかりではあるが)、予習がてら先に読んでおく事をお勧めする。その時に自分が感じたことと、イランで彼らがどう反応したかを比べていくのも面白い。女性のヴェール着用が義務化され、男女が一緒に歩いているだけで刑務所に送られてしまうようなイスラーム国家で、これらは禁じられた小説である。だが著者は恋愛が禁じられた国だからこそ、恋愛小説を読むことの必要性を生徒たちに説く。

 ではまず、イランという国についての本を紹介していきたい。イランを知れば知るほど、なぜ「テヘランでロリータを読む」ことが、あれほど画期的なのかがわかる。『現代イラン』(桜井啓子著・岩波新書・735円)は、中東一の近代国家であったイランを変貌させた1979年の革命を、移民や亡命者、殉教者、神学生、そして女性といった、様々な視点から書いている。なぜ革命は起きたのか、革命は何を目指したのか、そして現在も彼らが模索し続けている新しいイスラームの形とは?

 『イランを知るための65章』(岡田恵美子ほか編著・明石書店・2100円)は、より現実的なイランをわかりやすく紹介している。イランと聞いて、私たちがイメージするものは? 砂漠、駱駝、石油、イスラーム教、あるいはアメリカの言うようなテロ支援国家、これを読むとそのほとんどが、報道や風説からの断片でしかないことがわかる。では、イランとペルシャが同じ国だと知っていただろうか。シルクロードの十字路に栄え、正倉院にその華麗な文化の一端を届けたペルシャ。イランはその叙情豊かな文化を受け継ぎ、今に伝える国なのだ。

 日本人に馴染みのないイスラーム教も、この国を理解するに避けては通れない。『イスラームの生活を知る事典』(塩尻和子・池田美佐子著・東京堂出版・2625円)は、イスラームの基本的な知識とムスリムの実生活の基礎的な約束事が載っている。例えば有名なラマダーン(断食月)の間は、1月間日中は食物を摂らない。そうして欲望を制御して身体と心を清め、飢えを体験することで世界の貧困を忘れない。イスラームが広く信仰されている秘密は、難しい教理ではなく誰にでもわかる形で、信仰の本質が会得できるからと言われる。

 さてそんな風土や文化の下で生まれた文学とは、いかなるものであろうか。ペルシャ文学は華麗な恋文であり、詩で歌われた語りの文学であった。今も誰もがその一節を暗誦することができると言われるほど、イランの人々に愛されている『王書 古代ペルシャの神話伝説』(フェルドウスィー著・岩波文庫・840円)は、ペルシャ王の列伝である。神話の時代ではどのように文化が発達し、偉大な統治者が現れ、また人の世に悪が広まっていったか、が書かれてある。面白いのは、善と悪があい争うことこそこの世の常態であるとするところ。
 『ルバイヤート』(オマル・ハイヤーム著・岩波文庫・483円)は、11世紀のペルシアの詩人ハイヤームが、生への懐疑を出発点として、人生の苦悶や希望、憧れをルバイヤートと呼ばれる短い4行詩で綴ったもの。ペルシア文学の祖である詩に触れれば、その精神がわかるだろう。短く美しい言葉は非常に象徴的で、日常的な茶飯事は含まず、哲学的な深い内容を備えている。

 そしてペルシャ文学といえばアラビアンナイトである。中東文化に多大な影響を与えたこの作品、日本で読むならば『千夜一夜物語 バートン版 全11巻』(大場正史訳・ちくま文庫・各1470円)がお勧めだ。世界の奇書バートン版からの名訳に、古沢岩美の華麗な扉絵を付してある。紡がれる不思議な物語に酔おう。

 イラン初の漫画本として絶賛された『ペルセポリス1』『ペルセポリス2』(マルジャン・サトラピ著・バジリコ・1・1470円・2・1575円)は、1969年イランのラシュトに生まれ、テヘランで成長し、フランス語学校に通った著者の体験を描いたもの。ペルセポリスとは、アケメネス王朝の聖なる都のことである。イラン革命のさなか、1人の少女に何が起き、何を感じ、国を離れ、恋をし、故郷に戻り、結婚離婚を経験し、再び旅立つまで。独特のユーモアで、厳しい現実をさらりと描き出していく。

 同著者の『刺繍 イラン女性が語る恋愛と結婚』(マルジャン・サトラピ著・明石書店・2415円)は、「心の換気」と称してお茶を飲むイラン女性の、暴露話を拝聴する。差別や制約の中でも、女性たちは愉快に過ごす術を身に着けていくものなのだ。それがこのお茶の時間であり、おしゃべりである。あけすけに語られる男性観や結婚観は、意外なほどドライでたくましい。イランにおける男女関係の実像を伝えてくれるが、逆に言うとここまで進歩的な女性たちが、よくあれだけ抑圧された社会の中でやっていけるものだと驚いてしまう。

 だが、前著は経済的には中流から上流の、生活には困っていない階級の女性たちの話だ。地方の村へ行くと、あるいは経済的に貧しい女性たちは、厳しい現実を生きている。ヨルダンの小さな村に生まれ育った女性の半生を綴った、『生きながら火に焼かれて』(スアド著・ソニーマガジンズ・756円)は、奴隷のように男に仕え、恋をしたせいで家族から火あぶりにされた少女の現実を伝え、世界中に衝撃を与えた。信じられない事実だが、年間6000人以上の少女が「名誉の殺人」と称して、今も家族の手で殺されている。

 革命から30年、イランの女性たちは市民権に関する大きな前進を見た。それは中東の他国家に影響を与え、女性に関する法の見直し、または女性たち自身の政治参加につながっていく。そこで文学の力は微々たるものかもしれない。だがそれは今ある現実を疑わせ、新しい世界を構築する力だと、テヘランでロリータを読んだ彼女らは言う。非常に力強く、希望のある言葉だった。この特集で伝えたかったことだ。