|
今年もまた、愛の季節がやってきた。今回の特集は、ずばり「恋愛」だ。 古今東西、様々な人間が愛について、頭を悩ませてきた。誰にも身近で、誰にも答えの出せない、深い問題として恋愛はある。恋愛に関する本は、ピンからキリまで、膨大に出版されている。 人気の比較文学者・文芸評論家である、小谷野敦は、『恋愛の昭和史』(文藝春秋・1890円)で、数多くの文学作品を例に挙げながら、恋愛の歴史を解き明かしていく。近代日本に入ってきた恋愛観として、「結婚は恋愛のうえになされなければいけない」と、「恋愛は誰にでもできる」という考え方を挙げ、その二つを克服できなければ、恋愛の脱近代化は訪れないと説く。その博覧強記ぶりはすさまじく、一冊読めば、恋愛についていっぱしのことを語れるようになるかもしれない。 『恋愛の近代文学』(渥美孝子ほか編・双文社出版・2415円)は、小説に見られる恋愛観変遷の概論が前半にあり、後半はその出典作品の抜粋が載せられている。個々の文章を追いながら、全体の流れを確認できるので、手頃なガイドとなっている。 「恋愛は論じるものではなく、するものだ」という言葉がある。その通りである。現実での実践は各人にまかせるとして、ここでは文学上の実践、つまりは恋愛小説を中心に紹介していく。まず読んでおきたい恋愛論を紹介し、あとは、文学史上その時代をよく表した恋愛小説を、順を追って見ていきたい。恋愛論や小説を読むことで、その時代の恋愛観やそれを形作った社会の様相を、感じ取れればと思う。 なお紹介する作品は、前述の二作を参考に、時代を読み取れるという視点から選んだものである。
恋愛論なるものは膨大に出版されている。書店の棚の前でそのあまりの点数に、どれを選んでいいのかわからなくなってしまう人も多いのではないか。 『恋愛論アンソロジー』(小谷野敦編・中公文庫・940円)は、ソクラテスから井上章一までと副題にあるとおり、多様な恋愛論をまとめてあるので、読みやすくお勧めだ。独特の切り口での解説が、面白い。小谷野敦のルーツである文章の数々に触れてみて、自分なりの恋愛論を組み立ててみるのもよいだろう。 『もてない男』(ちくま新書・714円)『帰ってきたもてない男』(ちくま新書・735円)は、これまであまり恋愛論議に上らなかった、もてるもてないの問題を扱っている。自分は東大卒なのにもてなかったと、恨みが書き綴ってあり、小谷野敦ほどの人物も、恋愛のことになると我を忘れてしまうのが興味深い。結婚・離婚を経て、著者の主張にも変化が見られ、理論と実践は違うと実感させてくれる2冊でもある。 フェミニズムやジェンダー論も絡んでくるが、『女という快楽』(上野千鶴子・勁草書房・2520円)は外せない。吉本隆明が『共同幻想論』(角川文庫・567円)で示した、共同幻想と自己幻想、そして対幻想という三つの視点から、上野千鶴子が恋愛を解き明かす。国家や社会に抱く共同幻想と、自我を形作る自己幻想は重なりやすいが、自我を解体し再編する恋愛という対幻想は、それらに相反する。政治と性は、両立しない。互いに補完しあう対幻想が成立すると、相手なしではアイデンティティを維持できない。この部分は、何度読んでもはっとさせられる。女性だけでなく、男性にも読んでほしい一冊だ。『電波男』(本田透著・三才ブックス・1500円)は、オタクによるオタク恋愛論として、興味深い。女性から無視され、迫害されつづけた、オタク男の悲しさをノリのよい文章で綴る。現代を恋愛資本主義だと批判し、現実の女よりも二次元の萌えキャラクターを愛するのが、これからの恋愛だと主張していく論理は、飛躍しているが痛快でもある。同著者で、より論理的に脳内恋愛のすすめを書いた、『萌える男』(ちくま新書・735円)もあり、今後さらに拡大するであろうオタクムーブメントとともに、注目の本である。恋愛の未来像を考えるには、読んでおきたい。
次に時代を追って恋愛小説を紹介していきたい。まずは明治。西洋文化が入ってきたことで、社会が大きく変貌を遂げた。だが依然として、結婚は家同士がするもので、恋愛とは別とする価値観が残っており、すれちがいに悩む主人公が登場する。 言文一致の見本とされる二葉亭四迷の『浮雲』(岩波文庫・630円)は、明治20年に書かれた。主人公内海文三は下宿先の娘お勢に恋心をよせる。英語を習うようなハイカラな娘であるお勢は、しかし、文三が役所を免職になると途端に冷たくなり、文三の同僚であり出世頭の本田に惹かれていく。ベルリンの描写がモダンな雰囲気を与える『阿部一族,舞姫』(森鴎外著・新潮文庫・420円)の「舞姫」は、豊太郎とエリスの恋とその破局の物語だ。エリスに出会い、真の自分を生き始めた豊太郎は、しかし帰国して立身出世の道に戻る。自由な自我の目覚めと、周囲の圧力による挫折を描いた、名作である。 五千円札の顔に選ばれた樋口一葉『にごりえ,たけくらべ』(岩波文庫・420円)収録の「たけくらべ」は、花柳界に生きることを運命付けられた少女美登利の、淡い初恋を描く。相手は寺の息子の信如だ。互いに惹かれあいながらも、決して結ばれることのない二人。 尾崎紅葉『金色夜叉』(新潮文庫・740円)は、自分を捨てて金持ちと結婚してしまった宮への復讐に、冷酷な高利貸しとなってしまった寛一を描く。映画や演劇でもくり返し演じられた、明治期最大のベストセラーだ。 文学そのものも変化した時代で、恋愛の本質に迫ろうとする、作家の様々な取り組みが、作品に表れてくる。次はそんな小説を紹介したい。 若くて美しい女性弟子に思いを寄せる中年男性作家の姿を赤裸々に表現し、私小説の源流となった表題作を含む、『蒲団,一兵卒』(田山花袋著・岩波文庫・399円)は、告白という小説の方法や、会話に現れる日露戦争後の社会的動向など、様々な読み方がなされてきた。芳子の去ってしまった後、残された蒲団を抱きしめて、彼女の香りに包まれながら、主人公が悲嘆にくれるラストは、あまりに有名である。 『それから』(夏目漱石著・新潮文庫・420円)は、親友・平岡に自身の想い人を譲った代助が、三年後、その結婚は間違いだったと、友を裏切ってでも想いを完遂することを決意する。代助と平岡、三千代の三角関係を通して、当時の社会や、人はいかに生きるべきかといった問題が描かれる、漱石の代表作だ。日本人に「初恋とは?」と問うと五人に一人は島崎藤村の詩を挙げるであろう。 「まだあげ初めし前髪の」から始まる瑞々しいリンゴ畑の光景は、初恋のイメージとして根強い。美しい一遍の言葉が、その人の恋愛観を決定付けてしまうことも、あるかもしれない。『詩人の愛 百年の恋、五十人の詩』(河出書房新社・1575円)には、「初恋」以外にも様々な愛の詩が収録されており、叙情豊かな恋愛の姿を読むことができる。
前時代に比べると、恋愛が次第に自由になっていくのが、読み取れる。 近代抒情詩の最高峰と評される室生犀星の書いた恋愛小説、「性に目覚める頃」は、『或る少女の死まで』(岩波文庫・630円)に収録されている。タイトルどおり、17歳の少年の性の目覚めを描く。詩人である彼の特性は、故郷金沢の自然の描写に生き、その美しい文章は青春の儚さをも連想させる。『愛の詩集』(角川文庫・567円)と併せて、犀星の愛の世界を読んでみよう。 そしていよいよ、谷崎潤一郎の登場である。彼を抜いて、日本の恋愛小説は語れない。文学史上に、数多くの名作を残した大家である。 「恋愛および色情」を含む『陰翳礼讃』(中公文庫・500円)では、そんな谷崎の恋愛観を読むことができる。平安朝の文学から、西洋の騎士道から、日本の伝統美から、恋愛の名手が自由に恋愛を語る随筆集。 『痴人の愛』(新潮文庫・660円)は、28歳の技師譲治が、カフェで出会った15歳のナオミをひきとり、教育する話である。魔性の女ぶりを発揮し始めるナオミに振り回されつつも、離れられない譲治はやがて、その境遇に喜びを見出していく。「ナオミズム」という言葉まで作られ、当時の最先端の風俗を描いたとされる。 『猫と庄造と二人のおんな』(新潮文庫・340円)は、猫のリリーを偏愛する庄造と、猫に嫉妬し争う、二人の女が出てくる異色作。谷崎作品につきものの妖艶な女性の代わりにリリーが設定されているのだが、崇拝の対象が猫であるが所以の、意味深いラストになっている。タイトルの順番が立場を表すと言われており、そこもまた意味深長である。 近年、テレビドラマ化された『真珠夫人』(菊池寛著・文春文庫・600円)は、父の無念を晴らすため、30歳年上の成金に嫁ぎ未亡人となった瑠璃子が、男性社会に復讐するかのように男たちを手玉に取る姿が、大ヒットした。菊池は新聞上に、女性向け通俗小説を次々と連載した書き手である。教育が進み、恋愛小説に女性読者という存在が、台頭してきた時代とも読める。明治末から大正にかけての当時の風俗が、色濃く表れている一冊になっている。近代女性の恋愛と結婚、その破綻までを描いたものに、宮本百合子の『伸子 上下』(岩波文庫・上巻588円・下巻693円)がある。女性側から性を書いた作品になっている。
戦争を挟んで、社会が大きく変わった。その動きは、恋愛小説にどのように影響を及ぼしているのか。
時代の様相を反映してか、多様な恋愛が小説に登場するようになった。
『この恋愛小説がすごい! 2006年版』(宝島社・730円)が出版されるように、恋愛小説というジャンルが、近年注目を集めている。さて、2005年はどういう恋愛小説が読まれたのか。 |