トップページ > WEBほんのしるべトップページ > 往復書簡をはじめませんか 第6回


未来への周遊券 瀬名秀明/最相葉月 共著『未来への周遊券』(ミシマ社刊)。
この素晴らしい1冊との出会いから、ジュンク堂書店の店員も、ゆっくりと、ふたりの書き手が
思いを紡ぐ取り組みを始めることになりました。
3回目を迎える今回は、出版社・夏葉社代表の島田潤一郎さんに、いっしょに歩いていただく
ことになりました。
夏葉社さんは、吉祥寺。ジュンク堂は仙台ロフト店から。
半年間の言葉の旅が、みたび始まります。

島田潤一郎様

この号が出る頃には、夏葉社さんの新しい詩集はもう店に並んでいるでしょうか。
あぁ早く手にとってぱらりぱらりめくって頁の声に耳を澄ませたいです。詩のことは実はよくわからないのですけれど、首を長く長ーくして待っています。待ち遠しいなぁ。どんな詩集なのでしょう。どんな装丁になるのでしょう。

実は詩だけではなく、私はいろんなことがよくわかりません。
いままでよく生きてこられたものだと思います。きっと、ひとに恵まれているおかげだと思うのです。自慢したくなるくらいにすてきなひとがまわりにたくさんいてくれます。その大事な大切な大好きなひとたちが、生かしてくれているのだなぁと、つくづく思います。

その中のひとりに、武田こうじさんという詩人がいます。武田さんの詩で、ひとつ、とても好きなものがあるのです。「夜の途中は朝の途中」という詩です。

「穏やかに受け入れていく夜の途中/お互いがお互いに与えることができますように/穏やかに消えていく朝の途中/奪い合う前に笑い合うことができますように」

朗読を聴くときにはいつも、この詩をたのしみに待っています。なにがどうよいってうまく言えないのがもどかしいのですけれど、気持ちに寄り添ってくれることばに出会えたということは、とてもしあわせなことのような気がします。新しい詩集にも、そんな出会いがあるといいなぁって、わくわくどきどきして待っていますね。

このところぼんやりと考えていることがあるのです。
ひとつひとつの単語自体には意味はあっても、ちからのようなものはなくて、文章や会話や手紙になって、届けたいひとがいて気持ちがあって物語があって、それが読むひと聞くひとの心に届いたときに、ちからになるのかなぁ、って。
それから、実用書じゃなくても、すべての本はきっといつか、役に立つのじゃないかな、って。
教えてもらったこと、見せてもらった世界、たくさんあります。なんて、ややこしいことを書いてしまいましたが、やっぱりよくわからなくて、素直に単純に、ただただ本が好きで、読みたくて、読むとやっぱり、本はいいなぁって思うのです。うふふ。でもきっと、それでもよいのですよね。

さよならのあとで
夏葉社さんの新しい詩集は
こんなすてきな装丁で
お店にやってきました

いままでにたくさんのことば、たくさんの気持ち、たくさんのちから、たくさんのひとからいただきました。それはどんなごちそうよりどんな薬より、私にはいちばんの栄養でした。本のそばにいなかったら、知り合うことのなかったひとにもたくさん出会えて、たくさんことばをかわして、また会いたいひと、また行きたい街がたくさん増えました。大事な大事な宝物です。

このおたよりのやりとりも、たのしくてしあわせな半年間でした。ありがとうございます。なんだかしんみりしてしまいます。何度も何度も読み返したい本、ずっといっしょにいたい本を、これからも届けてください。それをこの街の本を愛するひとに届けるお手伝いをさせてください。
ずっとずっとここで、島田さんのつくる本が、世界が、やってくるのを待っています。


佐藤純子様

純子さんのお手紙を読んで、胸があつくなりました。なにを書けばいいのか、よくわからなくなってしまいました。最後の往復書簡、さみしいかぎりですが、僕は今回もまた、個人的なことから書き始めようと思います。

僕は高知県の室戸で生まれました。とは言っても、母が一時的にお産のために室戸に帰っただけであって、育ったのは東京の世田谷です。何度か家を出たことはありますが、いまも昔と変わらず、小田急線沿線の、小さな町に住んでいます。
子どものころから、夏休みになると母と一緒に室戸に行きました。長いときは1ヵ月近く滞在しました。1歳年上の従兄と、朝から晩まで、港で泳ぎ、カブトムシを獲り、お好み焼きを食べ、ファミコンで遊びました。

「子どもたちよ 子ども時代をしっかりとたのしんでください おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代のあなたです」
敬愛する石井桃子さんは、子どもたちにそう語りかけました。世田谷文学館でこの言葉に出会ったとき、僕はいろんなことを思い出しました。陽光に照りかえる室戸の山の葉の輝きや(社名の由来でもあります)、大海原、花火、夏の庭で水の入ったホースの両端を互いに咥え、せーので思いっきり息を吹き込んで、びしょぬれになりながら笑った従兄との日々。幼いころの自分の笑い声が、まだお腹の底にあって、それがいまでも、自分の人生を豊かにしてくれているような、そんな気がしました。

「すべての本はきっといつか、役に立つのじゃないかな」と純子さんは書きました。
僕もまた、同じ意見を持ちます。
幼いころは天真爛漫に遊び、思春期になって、よくあるように、孤独になり、本を読み始めました。本が具体的に生活を助けてくれたということは(料理本をのぞけば)なかったかもしれませんが、本を通して、僕もさまざまな人に出会うことができました。
そうそう、昨年末、僕がずっと親しくさせてもらっている七つ上の友人が、こんなメールをくれたんですよ。

「たった今仙台ジュンク堂で『星を撒いた街』を購入したら、店員の佐藤さんという方に、その本、夏葉社の本全部好きなんですと声をかけられ、なんだかうれしくなりました」
船出
こんなことって、あるんですね。
話がうまくまとまりませんが、最近、感動したのは辻征夫さんの「船出」という詩です。

「病院のベッドで眼を見開いたままの従兄弟に/ぼくはささやいた/ぼくたち海賊にもならず/妻を娶り 家族を作り 働いたね/高く吊るされることはなかったけれど/いつのまにかぼろぼろになっちゃった/じゃ ひとあし先に/船出するんだね 船長/月も明るく 海は静かだよ」

従兄が事故で亡くなり、僕は出版社をつくって、素晴らしいたくさんの人たちに出会いました。
この往復書簡は、その一つの証しのように思えてなりません。
また、仙台でお会いしましょう。

どうか、お元気で。

これまでの往復書簡