トップページ > WEBほんのしるべトップページ > 編集者の棚 松家仁之 第2回:その1




第2回:松家仁之(まついえ・まさし)さん
                                                     2010.8.3


松家さんは「考える人」2010年夏号での特集・村上春樹さんへのロングインタビューを最後に、新潮社を退社されました。なぜ?どうして?―誰もが聞きたいことだと思います。 でも、こんな時だからこそぶれずに、丹念に「松家さんを形づくるもの」を探っていきたい。そこで、松家さんの仕事を見渡すと、いまは亡き二人の人物が、大きな光を放っているように見えたのです。
それが、星野道夫さんと、伊丹十三さんです。
今回のインタビューは、ここから始まります。

誰にとっても特別なミチオ―星野道夫さんのこと

アラスカの大きな自然や、その中に生きる人々、野生動物について数多くの素晴らしい写真と文章で記録することを生涯の仕事とした星野さん。アラスカに住むエスキモーやインディアン、アングロサクソンの人々から丹念に話を聞き、書き残すこと、そしてカリブー(トナカイ)の季節移動を写真に収めることを、ライフワークとしていました。松家さんは、雑誌「マザー・ネイチャーズ」への連載依頼をきっかけに、星野さんと継続的に仕事を始めることになり、星野さんの4冊の本(『イニュニック[生命]』、『ノーザンライツ』、『アークティック・オデッセイ 遥かなる極北の記憶』、『CARIBOU 極北の旅人』、いずれも新潮社)と、全5巻の『星野道夫著作集』の編集にかかわりました。




写真家にはおさまらない人

―1990年に、松家さんが「小説新潮」増刊の「マザー・ネイチャーズ」を立ち上げる際、星野道夫さんに連載を依頼されたそうですね。 星野さんを知ったきっかけを教えて下さい。

 『アラスカ光と風』星野道夫 著 福音館書店

松家:平凡社から『ムース』という写真集が刊行されたばかりの頃で、その写真の素晴らしさに惹かれたのがきっかけでした。 さかのぼって最初の写真集『グリズリー』を手に入れたり、文章が主体の最初の単行本『アラスカ 光と風』(六興出版、現在は福音館日曜文庫)も読み始めたら、 文章が写真に匹敵するような素晴らしいもので驚きました。
いま思えば、「マザー・ネイチャーズ」という雑誌を企画したから星野さんに原稿をお願いしたのではなく、 星野さんの写真や文章に触れて感じたこと、心に残ったことが、「マザー・ネイチャーズ」という雑誌につながっていったんじゃないかという気がします。

―『グリズリー』と『ムース』の中で一番印象的な写真はどちらでしたか?

 『グリズリー』星野道夫 著 平凡社

松家:どれか1枚の写真というよりも、全体に流れるものに惹かれたんだと思います。
星野さんの写真は、いわゆる作品的な写真というのとはちょっと違うんですね。 アラスカという大自然のなかで生き物たちがどのように生きているか、全体を鳥瞰するような視点がいつもそこにある。 星野さんの文章とも切り離せない、自然に対する見方がある。ですから、ある1枚の写真がいわゆる「決定的瞬間」を捉えていたとしても、 星野さんの世界はその1枚だけでは完結しないんです。 もっと大きなフレームとして、つねに大自然が前提としてある。 生命の連鎖であるとか、自然とはどのようなものであり、人間はそのような自然とどのようにやりとりしてきたのか。 そのような大きなテーマが、いつも写真の背景で問い続けられていたんですね。

―星野さんという人が、写真家としてアラスカに行ったわけではなくて、アラスカに行くために写真を勉強した人だったからでしょうか。

松家:まさにそうだと思います。 そんな星野さんの姿勢を象徴的に語るエピソードが、カリブーの季節移動の大群のまっただなかに、星野さんがのみこまれるように入ってしまったときの話です。 写真家としては決定的な瞬間だったのに、星野さんはカメラを置き、撮影をやめてしまった。 「決定的瞬間」を狙う動物写真家なら、ありえないことでした。でも星野さんは、カリブーの大群に包まれる感覚を全身で感じとり、 味わい、記憶することを選んだわけです。星野さんの「写真家にして写真家にあらず」としか言いようのない、核心的な部分をあらわす話だと思います。


―松家さんの執筆された「考える人」メールマガジンにもそのエピソードがあり、だからこそ星野さんを端的に「写真家」と表すことができないのだ、 と書いていらっしゃいました。そして「それでは星野道夫という人は、いったいなんだったのか」と問いかけて終わっている。 その答えは、簡単には出ないですね。