トップページ > ほんのしるべトップページ > 文系人間のための<科学本棚 第12回前篇>



‐ 第12回(前編) 仙台から。 ‐

東日本を襲った未曽有の災害に遭われたすべての方々に、心よりのお見舞いを申し上げます。

当連載は、仙台の地から生まれました。
仙台駅前のジュンク堂書店2店舗で、2007年から続く常設企画「瀬名秀明書店」。仙台在住の瀬名秀明さんが、楽しい本、素晴らしい本の数々を紹介してくれるこの棚を、全国の皆様にも見ていただきたい。
そんな思いから始まったのです。そして、第12回で最終回を迎えます。

瀬名さんは無事だという知らせが入りました。店舗も、お客様と従業員は無事であったという知らせが入りました。それでも、仙台が被災した今、何も変わらず予定の原稿を掲載することなど、考えられない。
思い切って、瀬名さんに相談をしました。すると、返ってきたのは意外な返事――
東京に暮らす私たちを気遣う言葉、そして、今だからこそ、仙台から発信することが重要だから、新たに原稿を書きますよ、と。

編集部がリクエストしたのは、あの日から仙台の地で、読み続けた本について。
素晴らしいメッセージを、いただきました。
瀬名さんからの言葉、皆様に届きますように。


 2011年3月11日、私は仙台市泉区の自宅マンションで地震に遭いました。
 免震構造でこれまでも充分に耐えてきたマンションでしたが、今回の縦揺れの強さは体験したことのないもので、すぐにこれは未曾有の地震だとわかりました。何度も、長く、揺れは続きました。途中で電気は途絶えました。いったん収まって、私は車で事務所のマンションに向かいました。ラジオをつけるとふたりの女性パーソナリティが、すでに続々と届く状況を、緊迫した声で、しかし見事なほど冷静に伝えていました。6メートルの高さの津波がくるという警報がスタジオに到着し、パーソナリティのひとりが即座に知らせると、もうひとりのパーソナリティが「6メートル。家を呑み込む高さです。すぐに避難して下さい」と、具体的なイメージをすぐさま添えて繰り返しました。

 私の事務所のある耐震構造のマンションでは住民の方々がお子様たちを連れて一階ロビーへ降り、管理人さんとともに外の様子をうかがっていました。私の部屋は書棚も倒れ、うち一室は扉が開かず中にも踏み込めない状態になっていました。雪が舞い始め、世界は急速に薄暗くなり、私は自宅へ戻りました。事務所のあるマンションでは余震を怖れた方々がお子様たちと共に数日ロビーで寝泊まりを続けました。

 幸いに充電してあった携帯電話で家族や知人らに無事であることをメールで伝え、夜と共に寝床へ入り、じっとしていました。翌朝、事務所でラジオつきの懐中電灯を取り出し、震災情報を聴き始めました。冷蔵庫に残っていた缶ビールで乾きを潤し、散乱した家財と本を片づけていきました。書物はしかし、ごく一部を除けばよく持ち堪えていました。したたかに生き延びているじゃないか、自分で読む分には何の問題もない、とわかったとき、私は本を読むことから自分の気持ちを取り戻そうと考えたのです。事務所の電話が復旧した日、東京の新聞や雑誌編集部から次々と電話がかかってきて、「文化人の皆様に、今回の震災についてエッセイを……」と異口同音の依頼を受けました。すべてを丁重に辞退したあと、私は自宅で窓越しの陽射しを頼りに本を読みました。


産業技術総合研究所『きちんとわかる巨大地震』(白日社)

「産総研ブックス」の第一弾。著名な研究機関である独立法人産業技術総合研究所の研究者をフィーチャーし、彼らの仕事と未来展望を伝える内容で、前半はサイエンスライターの森山和道氏によるインタビュー、後半がそこで登場した研究者自身による科学解説です。特定の研究施設に取材対象を絞っているのが大きな特徴で、あえていえば「ふつうの研究者」がふだん何を考えているのかが垣間見える本となっているのです。
きちんとわかる巨大地震  2006年の本です。ある研究者はスマトラ島沖地震で珊瑚礁が1.5メートルも上昇して干上がった島に足を踏み入れ、その圧倒的な体験をいかにもわくわくした口調で興奮気味に話します。ある研究者は津波の痕跡が地層の中に残される現象を「面白いと思いません?」とにっこり笑って語りかけます。彼らは防災について話を向けられたとき、考えるそぶりを見せながらもくっきりとした返答には至りません。地球の動きこそが彼らにとっては関心の的であるからです。
 東日本大震災の被害をニュース映像で目の当たりにして、いま多くの科学者は感ずるところがあるでしょう。科学に従事しながら人の命さえ救えないのだとおのれを苛むこともあるでしょう。まずはいまの気持ちを忘れずにいてほしいと願います。その上であえていわせて下さい。震災を目の当たりにしたからこそ、本当の科学者である皆様にできることは、今後もおのれの研究を続け、深めることなのだと。
 どんなに大きな災害に直面しようが、これからも大自然の現象に「面白い」と言い切れる覚悟を持って下さい。それが自然科学者の業であるはずです。誰よりも面白がって下さい。それが自然科学者として生きて死ぬことなのです。科学者というのは、そうやって生きていいよと社会から認知された幸福な人々なのです。その幸せを存分に享受して下さい。地震に限らず、すべての自然科学者にそういいたい。そのかわり中途半端な面白がりようでは承知しません。どうか今後は身が切れるくらいとことんまで面白がって、これからもにっこり笑って私たちに語って下さい。そして私たちを面白がらせて下さい。
 心からの、お願いです。


小松左京『小松左京の大震災'95』(毎日新聞社)

小松左京の大震災'95  残念ながらいまは品切れですが、震災後に読んでもっとも感銘を受けた本です。自らも阪神淡路大震災を体験した小松さんが、その年の4月から1年かけて多くの専門家と対話し、震災というものを総合的に描き出した名著。膨大な生データを前に、小松さんは心身のバランスさえ崩しかけます。復興が進む間も連載は続き、震災の記憶から人々が遠ざかろうとするときもなお、小松さんは筆を進めます。そこに小松さんの執念と、作家としての矜持を感じます。
 なかでも私が感服したのは、連載当初から小松さんが縦揺れに強い関心を抱いていることでした。おしゃれな神戸市のシンボル的存在だった旧市庁舎。その途中階が潰された姿に震災の象徴を見て取った小松さんは、なぜこんな潰れ方になるのか疑問を抱き続け、ついに連載終了間際に地震の上下動が原因であると示唆する論文を見つけるのです。そして神戸の各地に設置された加速度計がせいぜい2次元の揺れしか記録できておらず、また免震構造の建物も上下動にはほとんど効果がないことを突き止め、上下動に震災の本質を見てゆくのです。私は本書を読みながら、自宅の免震マンションで体験したあの激しい縦揺れをまざまざと思い出していました。
 本書はジョン・ダンの詩で幕を閉じます。本書には今回の震災にもつながる多くの問題点と、それらに対する人間の想像力、知の力が凝縮されています。


吉田健一『時間』(講談社文芸文庫)

時間  沿岸部で懸命な救助・支援活動が続くなか、内陸の市街地や住宅地で地震に遭った人々は、ライフラインの復旧を待つことも大切な日常でした。震災後数日、私は本当の時間と共に生きていたように思います。吉田健一の文章は特徴的で、極端に読点の少ないこの本を読むことは、著者のペン先に自分も同化し、著者の呼吸を能動的に探し当て、彼が一字一字を原稿用紙に綴ってゆくその時間を共有することでもありました。
 吉田健一は私たち人間が精神であり物質であるからそこに時間があるのだと一貫して主張します。生きて息をするその物体としての自分を意識することで私たちは世界に戻り、世界があるところに時間があり、時間の進展が世界の開拓なのだと語ります。私たちがヴィヴィッドに世界を認識しているとき、そこに時間が起ち現れるのです。時間によって私たちの社会は復興を遂げます。その時間こそ、私たちが人間であることの証なのでしょう。その時間の鮮明さが私たちの精神なのでしょう。
 本と呼吸を共にすることの意味がここにあります。震災後、ガソリンが不足して、私は2週間ほど徒歩またはバスで事務所に通い、仕事を続けました。ぎゅうぎゅう詰めのバスの中で、文庫本を開く人をよく見かけました。携帯電話をいじる人よりも多いのが印象的でした。
 時間と共に生きなければならないとき、私たちは本を必要とするのです。世界がヴィヴィッドに広がるとき、私たちは呼吸する本と生きるのです。


アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』(新潮文庫)

 吉田健一の『時間』を読み終えて手にしたのが本書でした。落合恵子氏による新訳版もありますが、崩れた書庫の中でたまたま手に取りやすい場所にあったのが吉田健一訳によるごく薄いこの文庫本だったのです。著者はチャールズ・リンドバーグの妻で、みずからも飛行機乗りとして世界を巡り、日本にもやってきたことがあり、そうした体験はすばらしい旅行記としてまとめられ、日本語でも読むことができます。
海からの贈物  本書はそうした彼女が海辺で拾ったいくつかの貝殻と向き合い、おのれの半生を振り返りながら、女性としての本当の信念、彼女自身の芯となるものを探り、掘り下げていった小さな随筆です。しかしここにはやはり著者の時間がありました。読むことで男の私も著者の時間を生きたのでした。吉田健一の『時間』へとつながる呼吸がここにあるように感じられ、たとえ吉田健一が自分の原稿を書く際に直接リンドバーグのことは思い出さなかったとしても、時間の積み重なりは彼の筆先に宿ったことでしょう。
 私たちは本を読んで、時が経てばおおむねその内容を忘れてしまうものです。しかし時間が籠められた本は世界を開拓し、そのとき共にあった自分の時間は言葉や文章をたとえ忘れても積み重なってゆくのでしょう。


 この原稿を書いているのは2011年4月2日。震災から3週間あまりが過ぎました。まだ仙台の書店は稼働していないところも多く、新刊書籍がふつうに身近な書店で購入でき、注文書籍がふつうに宅配で届く日常が、どれほど恵まれたものだったか改めて感じています。仙台市内には駅の近くに2つのジュンク堂と、ひとつの丸善があります。震災直後から従業員の皆様が復旧にあたり、仙台アエルの丸善が3月22日に再開したとうかがっています。とても嬉しいお知らせでした。
 こうした時期だからこそ、仙台から良質なコンテンツを全国に向けて発信し、本を楽しんでもらいたい。そう願っています。今回の災害は、東北地方を中心とする物理的な災害だけが問題なのではありません。当初から電気と情報インフラを確保できたがゆえにデマやニュース映像に晒された、被災地以外の多くの方々も、計り知れないほどの心労があったと思います。いわばそうした情報災害が、日本全国に広がってしまったのが今回の震災でした。
 だからこそ仙台から良質なコンテンツを発信することが大切なのです。物理的災害と情報災害に直面した私たちには、いま時間が大切なのです。呼吸する自分を意識して生きることが、いま大切なのだと思うのです。



ナビゲーター 瀬名秀明(作家)

世界一敷居が低い最新医学教室 小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団 1968年生まれ。仙台市在住。
1995年に『パラサイト・イヴ』で彗星のごとく現れ、その後『BRAIN VALLEY』『八月の博物館』『デカルトの密室』など傑作SFを世に送り出す。 瀬名さんは薬学博士でもあり、2006年から 2009年まで東北大学で機械系特任教授も務めた。 近年は『おとぎの国の科学』『瀬名秀明ロボット学論集』『インフルエンザ21世紀』『未来への周遊券』(最相葉月との共著)など、読み応えのある科学ノンフィクションも多数刊行。

藤子・F・不二雄を敬愛し、2011年2月にドラえもんの長編作品「のび太と鉄人兵団」をノベライズした『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団』を上梓。

また、3月18日に電子書籍「杜の輪舞曲[ロンド]─表現すること・生きていくこと」(同じく仙台在住の伊集院静氏との共著、itunes APP Storeのみで販売)を発売。→ご購入はこちらから

4月中旬にはポプラ社より単行本『世界一敷居が低い最新医学教室』が発売予定。こちらは、医学監修に『iPS細胞』の八代嘉美氏を迎え、明るい希望を見通すことができる最新医学のネタ90を楽しく知ることができる1冊。

震災後も積極的に情報発信を続ける。


後編は、4月4日から営業を再開したジュンク堂書店仙台ロフト店の担当者がバトンを受け取り、本を紹介します。

仙台から、今だからこそ、言葉を。